Mr.∅の数学と古美術

数学講師が語る数学と古美術、「数学語」・「数学的文法」で日本の数学教育を変えたい!

【続】(1,1)と(2,2)を通る放物線を、何か1つ挙げるとしたら・・・

前回は最終的に

 y=a(x-1)(x-2)+x

という「束」の形までやってみました。

 

意表をついて、円を利用してみようと思います。

実用性はまったくありませんが、無駄に楽しいです!

 

さて、(1,1),(2,2)を通る円として、これらが直径の両端になる円を作ってみます。

ベクトルの内積を利用することで、

 (x-1,y-1)・(x-2,y-2)=0

 (x-1)(x-2)+(y-1)(y-2)=0

が、その円を表しています。

 

これを加工して、放物線にしてしまいます。

 

y^2を消してしまいたいので・・・

 (x-1)(x-2)+(y-1)(y-2)-y^2

という式を考えてみると、

 x^2-3x-3y+4

となっています。

放物線まで、もうちょっとです。

この式の値は

 (1,1)のとき、値は-1

 (2,2)のとき、値は-4

です。例えば、-3x+2の値は、

 (1,1)のとき、値は-1

 (2,2)のとき、値は-4

です。ということは、

  (x-1)(x-2)+(y-1)(y-2)-y^2=-3x+2

としてみたらどうでしょう?

 (1,1)のとき、左辺も右辺も値は-1

 (2,2)のとき、左辺も右辺も値は-4

だから、(1,1)と(2,2)を通っています。

 x^2-3x-3y+4=-3x+2

 y=(x^2+2)/3

なので、2次関数になっています!

 

 (1,1)のとき、値が-1

 (2,2)のとき、値が-4

となる1次式ax+by+cは他にもたくさんあります。

それを使って

 x^2-3x-3y+4=ax+by+c

を考えたら、どれも(1,1),(2,2)を通ります。

放物線にならないのは、b=-3のときだけです。

ということで、

 a+b+c=-1,2a+2b+c=-4,b≠-3

を満たす(a,b,c)なら、何でもよいのです。

 x^2-3x-3y+4=ax+by+c

は、(1,1),(2,2)を通る放物線を表しています。

 

すいません、変態的でしたね。

もっと変態的(笑)な作り方があれば、ぜひ、ご教授ください。

(1,1)と(2,2)を通る放物線を、何か1つ挙げるとしたら・・・

 y=(x-1)^2+1 ……①

 y=-(x-2)^2+2 ……②

は、どちらかを頂点にもつもので、思いつきやすいです。

 

※放物線は、軸がy軸と平行なもの(2次関数で表せるもの)にします。

 〇^2は、「〇の2乗」です。

 

f:id:phi_math:20191111105612p:plain

他にも、

 y=(x^2+2)/3

などありますが、これは、なかなかシンプルで素敵です。

実は、コレ、上の2つから、2×①+②を考えて

 3y=2((x-1)^2+1) + (-(x-2)^2+2)

 3y=2(x^2-2x+2)+(-x^2+4x-2)

 3y=x^2+2

 y=(x^2+2)/3

と得られるのです!

 

いわゆる「束」の応用です。

2円の共通弦や、“2円の交点”と“別のある点”を通る円を求めるときに、kなどを使っておく方法ですね。

 

2円で共通弦を考えるときは、x^2とy^2の項が消えるようにするのですが、いまの場合も、①+②を考えると、面白いことになります。

①と②の交点を通る図形(だいたいは放物線)を表すはずですが、

 2y=((x-1)^2+1)+(-(x-2)^2+2)

 2y=2x

 y=x ……③

で、2点を通る直線が得られます。

 

改めて、「束」っぽくやってみます。

 ① (x-1)^2-y+1=0

 ③ x-y=0

と変形しておいてから、

 (x-1)^2-y+1+k(x-y)=0

という方程式を作ると、kがどんな実数でも、すべて、(1,1)と(2,2)を通る図形を表しています!

これが「束」の考え方でした。

k=-1のときだけ、ちょっと変な図形になりますが、その他のときは、放物線です。

k=-1のときは、

 (x-1)(x-2)=0

 x=1 または x=2

だから、「2本の縦線」になってしまいます。

 

(x-1)(x-2)の形は活用できそうですね。

2点を通る直線y=xと組み合わせると・・・

0でない実数aを用いて

 y=a(x-1)(x-2)+x

と表しておけば、(1,1)と(2,2)を通る放物線になっています!

(式を見たら放物線と分かり、「2点の座標を代入したら左辺と右辺が等しくなる」から2点を通ることも分かります)

上に登場した3つの放物線は、a=1,-1,1/3としたものになっていますね。

 

もっとマニアックな作り方は、また別記事で。

2×(-3)は、なぜ、-6なの?

と、問いかけたら、

 「2×3は6で、正の数と負の数をかけたら負の数だから、-6」

といった返答が返ってくるのではないかと思います。

 

「2×(-3)を計算するにはどうしたら良い?」と問われたら、上のように答えると思います。

しかし、実は、いまの問いは、「2×(-3)が-6と一致することを証明してください」という意味になっています。その問いに対する答えとしては不十分かもしれません。

では、こんな風に答えてみてはどうでしょう?

 

A、Bの二人がいくつかの球を持っていて、それらを取り引きしています。

AがBに3個の球を渡すと、Bの球は3個増えます。+3です。

Aの球は3個減って、-3です。

もう一度、AがBに球を3個渡すと、Bは2×3=6個増えて、+6です。

Aは、さらに3個減ります。球の変化は2×(-3)です。

Bが6増えていて、二人を合わせると球の個数の変化は±0なので、

 6+(Aの個数変化)=0

 (Aの個数変化)=-6

です。つまり、

 2×(-3)=-6

となります!

 

これで納得できますね。

でも・・・

あくまで日常的な感覚(日常語)の範囲での説明になっているとも考えられます。

『「-6」そのものではなく、「-6個」という、単位がついた「-6」を考えているから、限定的な説明にしかなっていないのではないか?』

という観点が必要になるのが、数学です(慣れていないと、嫌がらせされているように感じますね)。

 

数学語のみを使って説明してみると、どうなるでしょう?

球の個数などに数を反映させるのではなく、数そのものを考えます。

 

こういうときは、

 「そもそも-6って何だっけ?」

という視点が必要になります。実は、

 「0より6だけ小さい数」

が「-6」のそもそもの意味です。

 「6増やすと0になる」

とも考えることができて、

 「〇+6=0となる数」

が「〇=-6」です。

ということで、いまやるべきことは

 「2×(-3)が〇になることを証明する」

です。

 「2×(-3)に6を足して、0になるか?」

が論点です。

2×(-3)+6を計算して、0になることを証明します。

 

  2×(-3)+6

 =2×(-3)+2×3

 =2×(-3+3)

 =2×0 (-3の定義から、-3+3=0)

 =0  (0は何にかけても0になる数です)

 

確かに、2×(-3)+6を計算すると、0になりました!

 

これで自信をもって

 2×(-3)=-6

と答えることができます。

 

計算するときは、もちろん、

 「2×3は6で、正の数と負の数をかけたら負の数だから、-6」

って、やりますよ。

好きなものは五感で愛そう

私が尊敬する世界的古美術商のHさんは、若いころ、気に入って仕入れてきた品物と一緒に寝ていたそう。

良くしてくれる若手古美術商のYさんも、「手元に置いて毎日見ていないと、モノの本質は学べない」と言っていました。

 

手に持った感覚(枯れた木の軽さ、金属の質感)、撫でた手触り(見えないほどの凹凸、彫りのシャープさ)、壊れそうな儚さ。

和ガラス(鉛が多く含まれている)などは叩いた時の金属音を楽しめますし、土器などは霧吹きで水を吹きかけたときの土の匂いで土中してきた時間の長さを感じることができます。

口に含むことは・・・無いかな。

 

本に書かれているのを読んで覚えただけでは生きた知識にならない、それは、古美術も数学も同じです。

 

不動明王は、束ねた髪を左側に垂らしているが、頭部の髪は、平安時代はまっすぐ、平安末期からは渦巻き状の巻き髪。

同時期に、目も、両目を開いた正眼から、右目は全開で左目は半開の天地眼になり、さらに、牙も、上の牙で下唇を噛むものから、左右の牙が天地眼と対応して上下を向くように。

鎌倉時代以降は、玉眼といって、ガラス製の目をはめ込んだものが。

 

確かに、すべての特徴を備えていて、しかも、豊満な雰囲気は鎌倉時代の特徴ではなく、どう見ても「藤末鎌初の不動明王」です。

f:id:phi_math:20191110101905j:plain

 

触れていていると、そんなことはどうでも良くなってきます。

 

博物館では、目で見ながらも、心の中の手で触れているつもりでいると、まるで撫でているような感覚が生まれてきます。

「あれと同じような感じかな」と。

これで、国宝も重文も、すべて自分のものです(笑)

日常語 vs 数学語

新井紀子さんの「数学は言葉」を読みました。

 

日常語に慣れている人が数学語に慣れるのは大変、というお話。

聖書につぐベストセラー、ユークリッドの「原論」にも言及されていました。

古代ギリシャで成立した数学語が現代にもつながっていること、日本語と数学語の相性の悪さ(すべて、存在の名詞への修飾の仕方など)、などなど。

高校数学から大学数学への架け橋ということで、「高校まで数学が好きだったけれど、大学で数学を嫌いになる人」を減らしたいという思いで書かれています。

 

私は、幸いにも、そこの移行はスムーズにいったと思います。

しかし、数学の世界にどっぷり浸かっていると、日常語までも数学語になっていることに気が付かなくなります。
数学語が通じると思って会話して、思わぬ失敗をする人、多いのではないでしょうか?私の経験では、

 

「Aなら、Bです」

「じゃあ、Aでないなら、Bでないのか?」

 

と理不尽に怒る人は、多いのではないかと思います。

新井先生の本にもある、ありがちな例としては、

 

「食後のお飲み物は、コーヒー、または、紅茶でございます」

「じゃあ、コーヒー、かつ、紅茶でお願いします」 

 

は数学語としては許されますが、日常語としては許されません。

だからといって、 

 

「食後のお飲み物は、コーヒー、紅茶の排他的論理和でございます」

 

と、日常語として数学語を使うと気持ち悪がられます。

しかも、

 

「食後のお飲み物は、コーヒー、紅茶、緑茶の排他的論理和でございます」

「じゃあ、コーヒー、かつ、紅茶、かつ、緑茶」

 

は成立してしまいます(笑)

 

排他的論理和は、2つの集合で考えると、和集合から共通部分を除いたものですが・・・

 (A(Bの補集合)) ((Aの補集合)∩B)

とも見ることができます。

すると、3つの集合で考えたら、A∩B∩C が含まれてしまいます。

一般には「奇数個の集合の共通部分」になるところ全体になります。

 

ブログスタート

こんにちは、Mr.∅(ファイ)と申します。

 

数学を教える仕事をしたり、執筆をしたりしています。

 

「すべての集合の部分集合」である∅(空集合)が好きなので、それを名乗ることにしました。

空集合は、ある意味、究極の存在だと思いませんか?

すべての集合を含む「全体集合」、その補集合だからすべてに含まれる、というロジックも美しいですね。

 

そんなちょっと変態めいた数学の話や、趣味の古美術の話を書いていこうと思っています。

f:id:phi_math:20191109235507j:plain

不動明王頭部(藤末鎌初)

 

大日如来の化身とも言われる不動明王

小さな小さなお顔だけですが、平安時代(藤原時代)の「定朝」の雰囲気が残った作です。

鎌倉時代最盛期の写実的で迫力のあるものよりも、ふっくらしたほっぺの、こんな不動明王が好きです。

額にある漆のムラが血管のように見えてゾクッとしますが、漆のはがれた鼻は何とも可愛らしい。