私が尊敬する世界的古美術商のHさんは、若いころ、気に入って仕入れてきた品物と一緒に寝ていたそう。
良くしてくれる若手古美術商のYさんも、「手元に置いて毎日見ていないと、モノの本質は学べない」と言っていました。
手に持った感覚(枯れた木の軽さ、金属の質感)、撫でた手触り(見えないほどの凹凸、彫りのシャープさ)、壊れそうな儚さ。
和ガラス(鉛が多く含まれている)などは叩いた時の金属音を楽しめますし、土器などは霧吹きで水を吹きかけたときの土の匂いで土中してきた時間の長さを感じることができます。
口に含むことは・・・無いかな。
本に書かれているのを読んで覚えただけでは生きた知識にならない、それは、古美術も数学も同じです。
不動明王は、束ねた髪を左側に垂らしているが、頭部の髪は、平安時代はまっすぐ、平安末期からは渦巻き状の巻き髪。
同時期に、目も、両目を開いた正眼から、右目は全開で左目は半開の天地眼になり、さらに、牙も、上の牙で下唇を噛むものから、左右の牙が天地眼と対応して上下を向くように。
鎌倉時代以降は、玉眼といって、ガラス製の目をはめ込んだものが。
確かに、すべての特徴を備えていて、しかも、豊満な雰囲気は鎌倉時代の特徴ではなく、どう見ても「藤末鎌初の不動明王」です。
触れていていると、そんなことはどうでも良くなってきます。
博物館では、目で見ながらも、心の中の手で触れているつもりでいると、まるで撫でているような感覚が生まれてきます。
「あれと同じような感じかな」と。
これで、国宝も重文も、すべて自分のものです(笑)