年末年始で埴輪の勉強.
日本書紀に「垂仁天皇が昔からの殉死の習慣が良くないと悲しまれ,野見宿禰(のみのすくね)の進言により,土製の人形を埋めることで代用した」とあるそうで,「それが埴輪の始まりだ」と考えたくなりますが,実は,それは誤解のよう.
埴輪は,中国の俑(よう)のように埋められてはおらず,古墳の外部から見えるように配置されていたそう.
死後の儀式を再現していると解釈する方が理にかなっているそうです.
ちなみに,野見宿禰は,相撲の起源に関わる伝説の力士ですね!
そういえば,力士の埴輪もあるんですよね.
埴輪の本に
「埼玉のものは櫛目が顕著で砂が多く,かつ赤みが強い焼き上がり」
との記述を発見.
まさに,これだ!!
巫女は「意須比(おすひ)」という独特の衣装を着ているそうだから,これは巫女ではないよう.
二本の足があった痕跡にもきっと意味があるのだろうが,いまのところ,不明.
もう少し研究が必要です.