いつもは残欠ばかり載せていますが,たまには,本気で美しいものを載せようと思います.
写真で分かるでしょうか?
首の部分に補修の跡があることに.
一度,体と頭部が離れてしまったものが,奇跡的に再会し,つながったそうです.
前所有者(古美術商)がたまたま見つけたそうです.
私も,同じような経験があります.
モノがつながりをもとめて,縁を作り出してくれる,不思議な感覚です.
さて,この仏像.
いまから1500年ほど前,中国の「北斉」辺りで作られたもので,白玉(白大理石)製です.
「北斉」は,「魏」と「隋」の間の時期にあった国です.
親“魏”倭王,“魏”志倭人伝=邪馬台国
遣“隋”使=小野妹子(聖徳太子の時代)
など,魏と隋は有名ですが,北斉はマイナーかも知れません.
石仏に興味がある人にとってはメジャーなんですけどね.
こんな美しい仏像が,なぜ壊されたのか?
その答えは
廃仏毀釈
です.
日本でもありましたね.
江戸時代が終わり,明治時代が始まるとき,仏教と神道が分離され,皇族のルーツである神道が重視されたわけです.
そのため,仏教が弾圧された.
法隆寺や興福寺と言った古刹も,ボロボロになったのです.
河原で古い仏像が山積みにされて,燃やされていたそうです.
おそろしい・・・
法隆寺は,いち早く明治天皇に献上し,宝物の維持をしてくれました.
東京国立博物館で見ることができるものです.
ですが,いくつもの宝物が市中に散逸し,古美術の世界でいまでも高値で取引されます.
資金集めに売られたことで有名な,法隆寺百万塔(寄付のお礼に渡す,という態であったようですが)もとても美しいものです.
興福寺からも千体仏という仏像群から,いくつかが市中に流出しています.
これも,百万塔と並び,古美術愛好家の垂涎の的です.
高いですけどね.
このように,廃仏毀釈というと,日本で行われたイメージかもしれませんが,中国でも実行されました.
唐や宋の時代には,廃仏論が起こり,仏像は破壊されたようです.
そんな中,この仏像も,体と頭が離れ離れになっていたのです・・・
不勉強ですが,朝鮮半島でも廃仏毀釈があったのではないかと思います.
新羅時代の仏像は,だいたい,火中していますし.
お寺が焼き打ちされた??
また勉強しますが,詳しい方,教えてください!
東アジア諸国で,時代を超えて繰り返されたきた廃仏毀釈.
そこで破壊された仏像を1つでも分けてもらいたいな,と思いつつ,もうこんな過ちは繰り返さないで欲しいと願います.
ですが,いまも,ガンダーラの仏像が破壊されたりすることがあるようで,心が痛みます.
宗教とか偶像崇拝とか,そんなことは関係なく,歴史の生き証人で,しかも美しい仏像たちを,なんとか守っていきたいものです.
日本の廃仏毀釈も壮絶でした.
色んな本もありますので,よければぜひ.
中国の古い石仏は,東京南青山の「根津美術館」のコレクションが有名です.
お近くに行かれたら,ぜひ,足をのばしてみてください.