テラスハウスというものの存在すら知らず,もちろん木村花さんという人も知らなかった.
ネット上での誹謗中傷の標的となり,そのために若い命が失われた.
すみません,私にはそれくらいしか分かりません.
ご冥福をお祈りします.
いまから90年前,ラッセル(1872年5月18日 - 1970年2月2日)が幸福論という本を書いています.
数学の世界では,論理学におけるラッセルのパラドックスで有名ですが,哲学者としても知られているそうです.
最近,ひょんなことから興味をもって入手して読み進めているところです.
たまたま今日,
第一部 不幸の原因
第九章 世評に対するおびえ
を読んでいました.
そこから引用してみようと思います(【】部分).
90年も前に書かれていたのです.
【(前略)
新手の恐れが生じてきた.
すなわち,新聞が何を書き立てるかもしれないという恐れだ.
これは,中世の魔女狩りに結びついている恐怖に劣らず恐ろしいものである.
新聞がだれかを,もしかすると全然無害な人間をスケイプゴートにしてやろうと決めれば,結果は非常に恐ろしいものになりかねない.
さいわい,いまのところ,こうした運命からは,大部分の人たちは社会的に無名であるためにまぬかれている.
(中略)
言論の自由という大原則をどう考えるにせよ,現在の名誉毀損罪よりももっと鋭い一線を画するべきだ,と私は考えている.
そして,罪のない個人にとって生活を耐えがたくするようなことは,いっさい禁止されなくてはならない.
たとい彼らが,悪意をもって公表されれば不評を招きかねないようなことを,たまたま言ったり行ったりしたとしてもである.
けれども,この害悪に対する究極的な治療法は,ただひとつ,一般大衆が一段と寛容になることである.
寛容さを増やす最善の方法は,真の幸福を享受しているがゆえに,仲間の人間に苦痛を与えることを主な楽しみとしていない個人の数を増やすことである.】
新聞についてのみ言及しているのは,90年前だから仕方ない.
テレビ,ネット記事,ブログ,SNS,・・・
媒体が増えれば増えるほど,寛容さが必要になるのでしょう.
「真の幸福を享受していないがゆえに,
仲間の人間に苦痛を与えることを
主な楽しみとする個人の数」
が増えているのでしょうか?
ラッセルの深い洞察は,現在にも十分に通じるな,と思った次第です.
大なり小なり,木村花さんと同じように苦しんでいる人がたくさん居るのでしょう.
同じような最期を選んだ人も.
不幸な人の不幸が一人の人に集約されたら,それはそれは苦しかったでしょう.
本当にご冥福をお祈りします.
真の幸福とは何なのか,ラッセル流の答えが書かれている第二部に入ったので,ここからの展開が楽しみです.